村山 聖 棋士

昨夜「解決ナイナイアンサー」で、村山棋士の話が流れた。29歳の生涯。「東の羽生、西の村山」と言われたそうだ。この言葉だけで、すごい人なんだと思った。

村山氏は、5歳でネフローゼ症候群にかかり、入退院の繰り返し、治療は安静と食事療法。同室者が翌日には居なくなる。このことの意味。そんな中、父が将棋盤と駒をプレゼントする。村山氏は、将棋を指し続ける。そして、14歳でプロ棋士になりたいと両親に伝えたらしい。もちろん、両親はダメだと言う。しかし、村山氏は「時間がない」と強い意志。その後、大阪に行き森氏に弟子入りする。奨励会入会から2年11か月でプロデビューした。

対局後に、高熱を出すこともあったそうだ。村山氏は、水道の蛇口から水滴が常に垂れるようにし、その音で自分が生きている事を確認する。「生と死」を鮮烈に感じていたのではなかろうか。

1997年膀胱ガンが見つかる。手術はしないと拒否。理由は「子どもが欲しい。」という思いからだ。医師の説得のもと、8時間に及ぶ手術を受けた。「子どもが欲しい」という夢は叶わなくなった。

1998年再発。母が泣き崩れる。村山氏は、母に「うどんを食べにいこう」と声をかけたそうだ。うどんを食べながら母は、「応援していこう」と決心したそうだ。

村山氏は、来シーズン「1年間休戦し療養に専念」することを発表した。森氏は、「1年休んだら弱くなるぞ」と言ったが、村山氏は「命のほうが大事ですから」と答え、森氏は「変わったな」と思ったそうだ。

1998年版「将棋年鑑」のプロフィールでは、「今年の目標は?」との項目に「生きる」と書き残している。

1998年8月8日 29歳で死去。

母は、医師の「こんな病気にさせてしまって」のひと言で、「私のせいだ」と思い、いつも自分を責めていた。村山氏は、母にきつくあたった。

村山聖氏とお母さまから、メッセージを頂いた気がしている。幼少の頃から、「死」を感じながら生きたこと。自分の道を見つけて、まっしぐらに駆け抜けた生き方。

看護師として、医療コーディネーターとして、「いつでも傍にいる」と伝わることが大切なんだろうと感じている。自分の思いを押しつけず、患者・家族の望むことに近づけ、納得できる生活が叶うようにお手伝いをしたいと思う。

 

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